2010年代を旅するということ

時が変われば旅の仕方も変わる。国際郵便を受け取りに自国の大使館に立ち寄ることも、一宿の許しを村の長に乞うことも、寂寥とした砂漠で星空に道を教わることも今はない。

僕たちはスマホを片手にアプリで宿を探し、ラップトップで飛行機や夜行バスを予約して、クレジットカードでATMから現地通貨を引っ張り出す。

トルコ一の美食の街、ガズィアンテプで5日過ごした。中央広場で青空市が開かれていて、トルコ中から集まった人が自慢の食材を売り買いしている。カメラを持って歩くと色んな人が「写真撮ってよ」と話しかけてきて、僕は職業カメラマンのようにみんなの写真を撮った。報酬は売り物のおすそ分けだ。

北トルコで取れたベリーのシロップやハチミツ。地元の名産のナッツ類、色とりどりのトルコ菓子。「甘いでしょ? あっちでチャイも売ってるから試してみたら」。黒海沿岸の山で取れたお茶、炭火で淹れてくれるトルココーヒー。一周してまたシロップとハチミツ。

英語を話せる人はほとんどいなかったのだけど、google mapとgoogle翻訳を使えばどこから来たどんな食べ物なのかは分かる。若い人はほとんどインスタやFBやWhatsAppをやっていて、別れ際に「写真はここに送ってね」だ。

マルコ・ポーロや三蔵法師、ましてや小田実や沢木耕太郎を引き合いに出すまでもなく、この数年で旅の形は大きく変わった。7年前に初めて一人で海外に行ったとき、ガイドブック片手に北タイを3週間かけて回った僕はスマホを持っていなかったはずなのだ。あそこ出会った人たちに再会することができるのは、当時のノートと思い出の中だけ。お別れの挨拶は「またね」じゃなくて「さよなら」だった。

今回の旅ではHostelWorldというアプリを使って宿を探している。旅人が付けたレートに応じてホステルの候補が出る安宿検索アプリだ。レートの高い宿には必ずラウンジがあってコンチネンタルブレックファストが付いて、トイレは洋式の紙ありでWiFiは速く、シーツは清潔でシャワーは温水で、受付はめちゃフレンドリーな英語を話す。「ハイ!調子はどう?」。

旅をはじめて2週間くらいは重宝していたのだけど、ガズィアンテプでは使うのをやめた。インターナショナルな旅行者にとって快適な安宿は、驚くほど「どこも同じ」なのだ。それは快適だけどありきたりで、安心だけど味気ない。そこでは面倒を乗り越えることで得られる自由の感覚が欠けているのだ。トイレットペーパーを使わずに初めて用を足せたときのような。

ガズィアンテプに着いた夜、僕はスマホを封印して雨のなか宿を探し歩いた。たくさんの人が助けてくれたけど、提案されるホテルはどこも予算オーバーで良い宿が見つからない。重たいバックパックもろともずぶ濡れになりながら、それでも僕は町歩きを楽しんでいた。

一人でできないから自然と誰かに助けてもらう。そこからコミュニケーションが生まれ、町に思い出ができる(もちろん悪い思い出のこともある)。なんとか安ホテルに転がり込んだ僕は、いっそスマホなんてない時代のほうが楽しい旅ができたんじゃないかと思い始めていた。

翌日、金輪際スマホを使わずに旅をしようと決意した懐古主義者の僕は、もらった地図を頼りに古代ギリシアのモザイク博物館を訪ねた。修学旅行の女子高校生集団と仲良くなって、ベンチに座っておしゃべりをした。インスタのアカウントを聞かれて彼女たちのスマホで自分を検索した後、もっと日本の写真を見せてとせがまれたので僕はいそいそとスマホの電源を入れる。

Good!とBeautiful!くらいしか英語が通じない彼らと、小一時間ほどお互いの写真を見せあって、僕のbeatifulのレパートリーは20種類くらいに増えた。「きれいな景色だね」から「めっちゃ美人!」まで。

一日で宗旨変えすることになるとは思わなかったけど、やっぱりスマホは素晴らしい。僕らは2010年代の旅人なのだ。その時代には、その時代の旅がある。