ただ無関心によってのみ隔てられている

前日の夕方、お台場のスタバでレインボーブリッジの向こうに沈む夕日を見ながら女の子とデートをしていたって、その24時間後にはものすごく蒸し暑い熱帯の田園地帯で、目の前には広大な避難民キャンプが広がっている。
関心を持ちさえすれば、世界はものすごく狭いのだ。
数十万人が家を失って、雨漏りのするバンブーハウスに住んでる世界と、
冷房の効いた喫茶店で、のんびりコーヒーをすすっている僕らの普段の生活は、
距離的な遠さでも、時間的な遠さでもなく、ただ無関心によってのみ隔てられている。

僕を旅路にいざなうもの

中学2年の夏、自転車をフェリーに乗っけて、4泊5日で伊豆大島に行った。

竹芝桟橋を出た船から、レインボーブリッジがよく見えた。見え隠れする東京タワーをじっと眺めながら、一人で冒険に出かけることの興奮を味わっていた。
旅好きの兄を真似したかったのかもしれないし、すぐ乗せられる単純な僕を親父がうまくけしかけたのかもしれない。

その時の僕がどうして伊豆大島に行きたがったのか、今では全然覚えてない。中学1年の春に買ってもらった自転車で遠出をしたかったのか、知ってる人のいない場所に行きたかったのか。ニューヨークでもシベリアでもネパールでも、場所はきっとどこでも良かったんだろう。中学生のお小遣いで行けて、ふだんはなかなか行けない場所。たしか、そう考えて伊豆大島を選んだんたと思う。

中学2年のころ、僕は背が低かった。ラグビー部なのに低い身長や、声変わり前の高い声がコンプレックスだったような気もする。今となってはどうでもいいことだけど。当時は少し気にしていたのかもしれない。
兄に借りた一人用のテントと寝袋、着替えや釣りざおをカバンに詰めた。キャンプ用の鍋やコンロを入れてもカバンにスペースがあったから、ちょっと背伸びした雑誌を押入れから引っ張り出して入れた。どうしてそれを入れたのか覚えてないけど、カバンにぴったり収まった。
夜中に竹芝を出たフェリーは翌朝早くに大島へついた。

大島の岡田港で、預けていた自転車を受け取ったらチェーンが切れていた。中学二年の僕は途方に暮れて、どうすればいいか分からなかった。
風がでてきて、雨が降り出しそうな天気だった。

近くにいたお爺さんに話しかけたら、「ちょっと待ってろ」と言う。数分後にそのお爺さんが軽トラックで迎えに来てくれた。
チェーンの切れた自転車を荷台に乗せて、どんよりとした海沿いの道を走った。

そのお爺さんは自転車屋へ連れてってくれた上に、家でお茶を御馳走してくれた。
奥さんも親切な人だった。東京に孫がいると言っていた。

僕はお礼を言って家を去った。その親切な老夫婦は、ポケットいっぱいにせんべいをくれた。自転車に乗りながら食べた。
伊豆大島って聞くと、いまでも海苔せんべいの味を思い出す。僕にとって伊豆大島は、いまでも海苔せんべいの味がする。
自転車で一周しようと思って伊豆大島に来たのに、フェリーに預けていた自転車が壊れてたショックは今でもよく覚えてる。
大学生になった今でも、途方に暮れることはよくある。解決できない問題に直面して、自分の力じゃどうしようもないと立ち止ってしまうことがある。

それでも結局なんとかなるのは、色んな人が支えてくれるからなんだろう。それは伊豆大島のやさしい老夫婦みたいに、見ず知らずの誰かであることもあるし、友達や家族といった身近な人のこともある。生まれてこのかた、そんな風に助けてもらいながら生きている。
嗚呼、みんな優しい。
僕はいつも感謝してばかりだ。

伊豆大島はすごくいいところだった。
魚釣りをしてたら、地元の消防士さんが話しかけてきて、消防車で良い釣場に連れていってくれた。
知り合ったお兄さんの実家のパブでご飯を御馳走になったし、4人組の大学生旅行客とテントで一緒にポーカーをした。

あの冒険がなかったら、今の僕はないんだろう。

2日目に泊まった無人のキャンプ場は、他に誰もいなくて海の音が暖かかった。
その夜はカバンに入っていた雑誌がとても役に立った。