本棚には読むべき本が山積みになっていて
iPhoneにつないだステレオからは世界中のクリスマスソングソングが流れていて
冷凍庫は近所のパン屋にもらった廃棄パンであふれてる。
例年より暖かいこの冬に、これ以上なにを望めっていうんだろう。
この間の3月に行われた教養学部の卒業式で、石井洋二郎先生が「肥った豚よりも、痩せたソクラテスになれ」という逸話を紹介していました。1964年に大河内総長が卒業式で語ったとされているこの言葉は、実は勘違いだらけだって話。
大河内総長のオリジナルのように言われているけど、実はJ.S.ミルの言葉の引用だったし、ミルは正確には「肥った/痩せた」という言葉は使っていなくて「満足な豚か、痩せたソクラテスか」としか言っていない。しかも驚くべきことに、このフレーズは式辞の原稿には書かれていたけど、本番では読み飛ばされていて、「大河内総長が卒業式で語ったフレーズ」というのはマスコミが広めたデマだった、と。
石井洋二郎教養学部長は、こんな話で会場の笑いを誘いながら、穏やかな口調でさらにこう続けた。
健全な批判精神を持て、自分の足と目で確かめろ。それが君らが卒業する「教養」学部に冠する「教養」の本質である、と。
あの印象的な卒業式から数ヶ月がたった。
僕らは、そんな風に健全な批判精神をもって、自分の足と目と頭を使って考えているだろうか。
気を抜けば足は重く、かすんだ目はすでに知っているものしか捉えない。頭は与えられた仕事をこなすのに精一杯で、身体はなまって未知の世界に走りだすこともできない。
9月、溺れる幼子を写したたった1枚の写真が、全世界を難民ウェルカムに染め上げた。
かと思えばそのたった数ヶ月後には、「フランスのテロの実行犯が難民を装ってヨーロッパに入った」と聞いて、みなが彼らにしかめっ面を投げかける。
ヨーロッパに逃れた14万人のうち、たった2人が「テロリスト」だったという情報が、世界中に難民排斥のうねりを生み出すのだ。そこに難民ひとりひとりの顔は見えない。
僕たちは自分の目で確かめて、直接話を聞いて確かめることを怠り、イメージに流されて生きてやいないだろうか。ブルーハーツなら「中身は無くても、イメージがあればいいよ」なんてうそぶくかもしれないけど、それはそのイメージを超えて、もっと核心に近づきたいという思いの裏返しだ。
イルミネーションと忘年会の予定があふれる街は、あっという間に僕を満足な豚にして、足を使うことを忘れさせてしまう。
この1年、サイトを運営したり、文化人類学を志したりして、
自分が生きる喜びを見出すのは、刺激的な一次情報に出会うときなのかもしれないと思うようになった。
ミャンマーの避難民キャンプも、ユニークな卒業生のインタビューも、自分の耳や目を使っているときが一番楽しい。
ところで、石井洋二郎さんが「肥った豚と痩せたソクラテス」の話をしていたのって本当なんだろうか?
「健全な批判精神をもった」教養学部OBとして告白すると、卒業式はサボって家で寝ていたから石井洋二郎先生の式辞は聞けませんでした。友達は口をそろえて良かったと言うし、ネットやテレビでも話題になっていたけど、ホントのところはわからない。
居心地の良い部屋で、満ち足りた午睡をむさぼる二日酔いの豚は、話題の式辞を聞きそこねるのだ。
それではみなさん良いお年を。来年お会いするときは不満足なソクラテスになれていると良いのだけど。