舞台『海辺のカフカ』蜷川幸雄演出

開成の先輩でもある蜷川幸雄さんの演出を見に。
宮沢りえ、すごかった。

主体のなさ。主体がない。
時間、空間、主体。今、ここ、わたし。がどんどん無意味なものになっていくのを表現するのに、演劇ほど楽しいものはないのかもしれない。

佐伯さんがお母さんかはわからない。最後にサクラに「お姉さん」といってしまうと、佐伯さんがお母さんなのが、急に嘘っぽくなる。(「あなたは私の弟みたいなものなの」というセリフがあったのが、「お姉さん」をロジカルにしている)

透明な(でもあえて少し汚されて可視化された)アクリル板に囲まれた台車の上でシーンが演じられていって、後半になるにつれて役者がアクリル板の台車を飛び出したり、台車と台車との間で時間と空間を超えた場面が繋がったりして。

浪人中に何人かの衝撃的な作家と出会うまで、親しい人に一番好きな小説を聞かれたら海辺のカフカと答えていた。
2005年に文庫本の海辺のカフカを読んだとき、僕はカフカ少年と同じ15歳で、本当に衝撃的でなんどもなんども読み返した。

佐伯さん、30代中盤のイメージなのだけど(もしかしたら40くらいだったかもしれない)、もしかして今の僕はカフカ少年より佐伯さんに歳が近くなっているのか。読み直したらもう僕のなかにカフカ少年はいないのかもしれない。

宮沢りえが演じていた今日の佐伯さんより、当時僕がカフカ少年として出会い恋をして月夜のベッドを共にした佐伯さんはもっとしっかりしていて強かったのだけど、もしかしたらそれは僕が中学生で佐伯さんの脆さを理解できなかったからなのかもしれない。