煙突、あるいは子どもの自分

5年間も大学にいると色んなことを学ぶことができます。

単位を取らないと卒業できないということや、
酔った勢いで告白すると信じてもらえないということ。
好きなことに夢中になっていると4年間なんてあっという間だということや、
面白い友達も恋人ができるとつまらなくなるということなど、

おかげさまで有意義な学びをたくさん得ることができました。

その中で最も重要だったのは、「卒論は早めに書き始めろ」ということですが、
その次に意味のある学びは「娘が結婚するときパパはつらい」という、とてもありきたりで、それでいて切実な学びでした。

1月のある朝、早起きして卒論の先行研究を読み漁り、変わらない進捗を嘆きながら遅い朝ごはんを食べていると、窓の外、地平線の先に見える煙突から、白い煙がまっすぐと昇っているのが見えました。
僕の育った町は、横浜市の西側辺境に位置していて、さながらトルメキア王国のはるか外れ、エフタル砂漠の淵にひっそりとたたずむ風の谷のような場所です。

はるか地平線の先に見えるその煙突は、僕が小学生のときから煙を吐き続けていて、小学生の僕はその煙突を見る度に、はるか遠くの巨大な工場に思いを馳せていました。

年末年始ひたすら先行研究を読みつづけて過ごした僕のアタマは適度な息抜きを欲していて、ひたすら机に座りつづけた僕のカラダは、適度な運動を欲していました。僕は朝ごはんを食べ終わると、おもむろに部屋のロードバイクにまたがったのです。

小学生の頃、僕はあの煙突をながめながらいろいろな想像をしました。誰が煙突を動かしているのか、工場では何を作っているのか、煙突はどれほど遠いのか。
僕には横浜市の広さが具体的にイメージできず、大人になった自分が煙突まで自転車で行けるとは夢にも思っていませんでした。

グーグルマップでだいたいの方角を確認して、僕は自転車をすべらせました。途中、ラーメンを食べたり、美女をサングラス越しにガン見したりしながら、見え隠れする煙突を追いかけたのです。

そのころ僕の卒業論文は、完全に行きづまっていて、自転車で煙突に向かおうと思ったのも現実逃避そのものでした。書き途中の卒論がどんなシロモノになるかイメージできなかったし、そもそも自分が一つの学術論文を描き上げるということが、少しも現実的に理解できませんでした。
僕の中での自分は、大学に入りたてのころと少しも変わっておらず、目の前のやりたいことと、やらなきゃいけないことをやるのに精一杯なのでした。

40分ほど自転車をこぐと、煙突にたどり着きました。そこは磯子の火力発電所で、僕は煙突の小ささに思わず息を呑みました。家からの距離は15キロ程度。吉祥寺から渋谷と同じくらいの距離です。
思っていたよりも、ずっと小さく、ずっと近かった煙突を見上げて、僕は言葉が出ませんでした。

小学生の頃、あんなに遠くにあると思っていた煙突が、こんなに近く、こんなに小さかったことが信じられなかったのです。それまで遥か彼方にあると思っていたものにも、大人になると意外と簡単にたどり着けるのだと知りました。

自分は小学生の頃から、何も変わっていないような気がしていたけど、知らぬ間に大人になっていて、あんなに遠かった煙突に自転車で来られるほど変わっていたのでした。

その日から、僕は必死で卒論を書き始めました。学術論文を書くなんて、今の僕にはまだ無理だと思っていたけど、大学で遊び呆けていたこの5年間で意外と何かを得ていたのかもしれないと思ったのです。
そうして半月間ひたすら書き続けて、今日やっと卒論が書き終わりました。

今こうして、印刷した卒論を手にして、この卒論は家の窓から見えるあの煙突だったのだと感じています。
とても遠くにあって、とうてい届くことはないだろうと思っていたものも、時がたてば意外と手の届く距離にあったりする。

書き上がった卒論を撫でながら、提出期限の明日、これを提出することをとても寂しく感じています。娘の結婚式で泣き出すパパの気持ちがわかったような気がしました。

僕はこの卒論を愛している…!

明日は笑顔で送り出して、院試と口頭試問に備えようと思います。審査担当教授のみなさま、うちの子をどうぞよろしくお願いします。